清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)2019年12月1日読了時間: 1分安楽寺 令和元年12月の言葉 今年もいよいよ押し詰って12月となりました。今年は拙寺にとって全くいい年ではありませんでした。年の後半、家内の夏バテのこと、義父母の交通事故、親族の軋轢、本堂の屋根のこと、いちいち上げると枚挙に暇がないぐらいです。 ただ息子や私が元気でいる、ということがせめてもの救いです。来る年が私も更に精進して、いい年になるようにしなければ、と思っています。合掌
今年もいよいよ押し詰って12月となりました。今年は拙寺にとって全くいい年ではありませんでした。年の後半、家内の夏バテのこと、義父母の交通事故、親族の軋轢、本堂の屋根のこと、いちいち上げると枚挙に暇がないぐらいです。 ただ息子や私が元気でいる、ということがせめてもの救いです。来る年が私も更に精進して、いい年になるようにしなければ、と思っています。合掌
安楽寺 令和5年8月15日の言葉15年戦争が終わって78年が経ちました。私は戦後生まれですので、父母から戦争のことはある程度は耳にしておりました。太田(大阪府茨木市)は田舎ですので、空爆などは、一度もなかったらしいです。 さて、平成元年6月24日に52歳の若さで亡くなった美空ひばりさんが、反戦歌として「一本の鉛筆」という歌を、昭和49年に発表しています。その歌詞を書いてみます。 「〜略〜 一本の鉛筆があれば、私はあなたへの愛を書