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  • 執筆者の写真清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)

安楽寺 令和4年5月の言葉

 今回の拙寺の法要について、お知らせ状を門信徒様にお送りしていますが、今回も「転居先不明」で4通が帰ってきました。仏壇の出仏式などはどうされているのだろう、と思いつつ事務処理をしていますが、4通の内、1通はご遺骨を預かっている家でした。これで連絡が付かないご遺骨は、全体の1割を越えてしまいました。おそらく、寺に遺骨を預けていたら、無情なことはしないだろう、ということでしょう。新型コロナウイルスの影響で、経済的にいきづまってしまった方かもしれません。また、多々なんらかの理由かもしれません。誠に残念です。ご遺骨が泣いておられるような気がします。  電車の忘れ物の中に、時々ご遺骨があるようですが、それは忘れ物ではなく、どうしようもなくなって置いておく、ということがほとんどのようです。鉄道会社は無碍(むげ)なことはしないだろう、ということで、拙寺の場合と同じということでしょうか。

合掌





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