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執筆者の写真清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)

安楽寺 令和6年7月の言葉

 半年が過ぎ去りました。また、能登半島地震があって半年。復興もまだまだのようです。避難所にはまだ沢山の方々がおられるようです。熊本地震よりも亡くなられた方が多く、震災関連死を含めて299人の方がお浄土に行かれたとのこと。大変心が痛みます。


 さて、今は梅雨の真っただ中で、蒸し暑い日々が毎日続いておりますが、梅雨といえば思い出すのが、龍谷大学で卒業論文の指導をしていただいた信楽峻麿(しがらきたかまろ)教授とのお葬式です。先生は週に1回、京都の池坊六角堂の南に隣接している六角会館で、ご法話されておられましたが、そこの聴講生としてある老婦人がおられました。その方は、「私が死んだら信楽先生にお葬式で導師として送ってほしい。」と家族に常々言われていたそうです。梅雨の時にその老婦人は亡くなられました。ご家族から先生に電話があり、そして先生から私に電話があり、「太田君、私とお葬式してくれないか、葬式衣装も2人分あるかな。」「はい、2人分あります。」ということで、亡くなられた老婦人宅で、翌日、先生とお通夜、翌日のお葬式。初七日となんとか2人で行う事ができました。先生は広島に寺がありますが、お葬式のことは、殆どご存じなし、ということでした。私が首席論文者として卒業してから5・6年経った頃と思います。後の2七日、3七日、などは「太田君、任せるよ。」とのこと。喪主様には、夜7時頃にお参りさせて頂きたいとお伝えして、帰ったのを今でも覚えています。もっと書きたいのですが、続きは8月に。

合掌




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