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安楽寺 令和6年8月15日の言葉

執筆者の写真: 清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)

 8月15日は終戦記念日。あちこちでその記念日の行事が行われます。

 太平洋戦争が始まり、各宗教団体にもだんだん権力側から、あれをやってもこれをやってもいけないと言うような統制が段々ときつくなっていきます。西本願寺でも神宮大麻(じんぐうたいま)「伊勢神宮のお札みたいな物」は、最初は各寺々に対し、本堂に祀る必要はない、と言っていましたが、最終的に、本堂に祀りなさい、と権力者に屈服してしまいました。念仏の力で他国にダメージをという有様になってしまいました。キリスト教も西本願寺と同じように屈服してしまいました。唯、創価学会だけは権力者には屈服せず、幹部は投獄されてしまいました。これは今となっては大変評価できるところです。戦後、キリスト教は真っ先に、おおやけにあのときの事を謝罪しました。西本願寺は、戦後20・30年後経ったころに謝罪しました。あのときは、仕方が無かったという屁理屈をつけてです。情けないです。

 さて、「7月の言葉」の続きですが、喪主様は、京都大学の言語学の教授をなさってて、学生のしゃべる言葉に危機感をもっておられるとのこと。「ら」抜きことばのなんと多いことや、また「ぜんぜん」のことばの使い方など、中学や高校の国語の先生方は、文法をどのように教えているのか、たいへん危惧されているようです。言葉も歴史的にみれば変わっていくのは文化的なところでは当然ではありますが、変わりようが早すぎる、と言われておられました。「ぜんぜん大丈夫」という言葉で、戦前では漫才で笑いが取れた。いまは当たり前のように使っているようです、ともおっしゃっていました。言語学はあまり学生が学びたがらない。寂しいですね。とも。

合掌





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