top of page
  • 執筆者の写真清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)

昔の太田村の写真

更新日:2021年8月25日


 開発前の当地、茨木市の太田村は、田畑が広がるのんびりとした村で、江戸時代に全国的に有名となった特産品の独活(ウド)も、規模は小さくなりつつも、未だ生産されていました。


 写真好きの先代住職によって、当時の様子が記録されています。「消え行く農村風景」と題して、当寺の壁面に掲げてあります。それぞれの写真は、工場の造成工事が始まる直前のもので、今とは全く違う風景が見られます。

 また、この当時は今ほど夏も暑くは無く、涼しかったですね。あの頃の夏が恋しいです。ただ、冬は寒かった...。



【写真説明】

  1. 一望の美田は国道まで続いていた。幼い頃通学したあぜ道はつゆ草で濡れていた。

  2. バケットカーが、ブルドーザーにひかれて、日に何十回もこの踏切を通った。広い田畑が会社に買い取られたからだ。

  3. 道の両側の青い草は、すっかり姿を消した。生々しい黄土が盛られて道路まで泥沼になった。ズックの子は毎日靴を汚して叱られていた。

  4. 道路は倍に拡げられ、工場は完成した。バスも通る様になった。見知らぬ人々が何百人もこの道を通って工場に行くようになった。



写真(1):西国街道の交差点から南を望む


写真(2):西国街道の交差点を北に望む


写真(3):今のバス通りを通学する学童(北を望む)


写真(4):工場が完成し、道幅が広くなった(今のバス通り)

閲覧数:179回0件のコメント

最新記事

すべて表示

安楽寺 令和5年8月15日の言葉

15年戦争が終わって78年が経ちました。私は戦後生まれですので、父母から戦争のことはある程度は耳にしておりました。太田(大阪府茨木市)は田舎ですので、空爆などは、一度もなかったらしいです。 さて、平成元年6月24日に52歳の若さで亡くなった美空ひばりさんが、反戦歌として「一本の鉛筆」という歌を、昭和49年に発表しています。その歌詞を書いてみます。 「〜略〜 一本の鉛筆があれば、私はあなたへの愛を書

Comments


bottom of page