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  • 執筆者の写真清浄山 安楽寺(大阪府茨木市)

稔りと時間

当寺の周辺は、近年急速に町場化が進んでいるとはいえ、まだまだ田畑も多く残っています。

 以下の写真は、今年の7月上旬に写した田んぼの様子です。当寺から東へ100メートル程のところにある田んぼです。稲の根本を見ますと、大きなタニシがたくさん居りました。昔はこれもタンパク源として食べました。

 時は過ぎ、今はもう晩秋です。次の写真は、同じ場所の11月上旬の写真です。収穫を終えた様子です。今年も撓わに稔った米を収穫できたようです。田植えから稲は順調に育ち、私たちは今年も稔りをいただく事ができます。


 しかし、何もせずに稔りをいただく事はあり得ません。最初の田植えから、途中の農作業を経て収穫があるのです。もちろん、収穫してから田植えまでの必要な作業もあります。次の田植えに向けた備えです。

 そして、人間がいくら努力しても抗えない、天候の作用です。天候は人知が及ばない、絶対的なものですが、収穫を得るために人間がしなければならない作業は、当然、適切な時期に、適切な量を施さなければ、収穫には結びつかないわけです。

 田植えを冬にしたり、夏を過ぎるころにしても、収穫は得られません。また、初めを適切に行っても、間で何もしなければ、それも思うような収穫に預かれません。

 流れる時間の中で、適切な時期に、適切な量をキッチリと行わなければ、結果に結びつかない訳です。これが因果です。そして、そこに関わる時間を読む、ということです。過ぎてから慌てたり、悔やんでも、もう戻って来ないのです。時間は残酷ですが、大きな恵みをもたらせてくれるのです。


もうすぐ師走です。今年も暮れてゆきますね。



令和元年7月上旬撮影


令和元年11月上旬撮影

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